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佐久「ぴんころ地蔵尊」へのアクセスと駐車場などの周辺情報 【健康的な生き方について考える】

佐久「ぴんころ地蔵尊」へのアクセスと駐車場などの周辺情報 【健康的な生き方について考える】

長野県佐久市の野沢地区にある成田山薬師寺参道に「ぴんころ地蔵尊」というお地蔵さんがいらっしゃいます。

ぴんぴん生きて、ころっと往生する」という意味であり、ベッドの上にいて寝たきりの状態での長生きではなく、元気に健康で長生きすることの大切さを表現しています。

このお地蔵さんへ会いに行く方法と、そこで考えたことをまとめました。

ぴんころ地蔵尊にはどうやって行くのか?

Aルート(中込駅方面から)

佐久インターチェンジから車で訪れる場合と、電車で来る場合はほとんど同じ方向からの行程になります。

大きい道路に沿って向かう道順になり、また道中には看板もいくつも設置されているので、迷う心配もありません。

JR小海線の「中込駅」より、西へ向かい「中込」または「中込橋場」の信号を西へ千曲川を渡ると看板が見えてきます。

そこからは看板もあるので分かりやすいですよ。

駐車場も無料でかなり広いので、車で来た場合も全く問題なし。

駐車場にはトイレもありますので長居しても心配いらないですね。

お土産屋さんもあります。ソフトクリームや甘酒なんかを飲食できるようです。

「ぴんころ地蔵尊」は成田山薬師寺というお寺の参道の途中にあります。

中込駅方面から来た場合、この駐車場に車を停めると、途中から参道に合流する形となりますが参拝には全く問題ありません。

 

Bルート(野沢商店街方面から)

さて今度は野沢商店街から成田山薬師寺の参道に入っていくルートをご紹介します。

「人形工房サンキュー」や「HOOD」というお店の壁のデザインが珍しいオシャレな服屋さんの近くに大きな「ケヤキの木」があり、その「野沢十二町」の信号を東に進むと、赤い大鳥居が見えてきます。

ここから参道に入っていきます。

参道の道中には、老舗の料亭「藤村」があったり、

佐久ならではのお土産を売っている「魚甲」があります。

コロナ禍でなければこの参道では毎月第2土曜日に「山門市」という縁日が開催され、参道には数々の出店が立ち並び、賑わいを見せています。

そこから歩を進めていくと山門に到着します。

この奥に成田山薬師寺というお寺があります。

そしてこの山門の向かって左手に「ぴんころ地蔵尊」が鎮座しています。

この地蔵尊は2003年に建立されました。

「ぴんころ」という名称は「ぴんぴん生きて、ころっと往生する」という意味であり、ベッドの上にいて寝たきりの状態での長生きではなく、最期の時を迎える直前まで元気に健康で生きることの大切さを説いています。

これは2000年以降に健康寿命の重要性が叫ばれるようになるのにあわせて、その重要性をユーモアを込めて如実に表現しています。

山門を守るかのように人々を見つめ、ふくよかで健康的な頬に、右手を添えて微笑みながら、人々に囲まれて鎮座しています。

縁日「山門市」には、「ぴんころ地蔵尊」の周りにも人々が集っているのをよく見かけます。

コロナのこの時期はその影響を受けて、マスクを着用しキュートなお姿に。

 

健康寿命について

厚生労働省のホームページによると、

2020年7月に発表された2019年の平均寿命は、男性81.41歳、女性87.45歳

健康寿命は直近で2016年のデータが、男性72.14歳、女性74.79歳となっています。

健康寿命とは、WHOにより2000年に提唱された概念であり、その定義は

健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間

とされています。

日本の平均寿命と健康寿命は男性で9歳、女性で13歳の差があります。

これが意味するのは、この年数だけ健康上の理由によって日常生活が制限された期間があるということ、つまり要支援または要介護、寝たきりなどの状態の期間があるということです。

 

そもそも健康とは

WHO憲章の前文において、日本WHO協会の訳によれば、

Health is a state complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity. 
「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。」

とされています。

 

「well-being(ウェルビーイング)」とは

健康の定義にも登場しますが、昨今注目されだした「well-being」という概念。

直訳すると「well:良好に」+「being:存在すること」、つまり「(人間の)良好な状態」を示します。

日本WHO協会では「well-bring」とは「満たされた状態」と定義されています。

そして健康のために必要な条件であることが分かります。

しばしばwell-beingを「幸福」と表記するものを見かけますが、私はこれは正しくない解釈だと考えています。

スイスの心理学者であるカール・グスタフ・ユングは、幸福の5大条件として

  1. 健康であること
  2. 自分にとって程よいと思う程度のお金を持っていること
  3. 美しいことを知る能力があること
  4. 人間関係が豊かであること
  5. 朝起きた時にやらなければならない仕事があること

を挙げています。

たしかにユングの言う幸福の条件と似ている部分が多いですが、「良好な状態である」というのはただの状態に過ぎず、それを前提として、そこに自己あるいは他者の感情が伴うことで「幸福」へと変化するのだと考えます。

「精神的なwell-being」と「幸福だと思う感情」は別物です。

WHO憲章の前文における「精神的なwell-being」とは、認知機能低下やうつ、不安でないなどの病的な状態ではないという意味合いのものであると感じています。

つまり「well-being」という概念自体はどの観点からも客観的な状態のことであり、その人にとってその状態が10段階レベルの内で何レベルなのか?そして何レベルから「幸福」と感じるのかはその人の価値観などによって左右されるものであると私は考えます。

冒頭の「ぴんころ地蔵尊」はまさに「well-being」を体現していると感じます。

ふくよかで健康的な頬に右手を添えて=身体的なwell-being

微笑みながら=精神的なwell-being

人々に囲まれて鎮座する=社会的なwell-being

そしてそこに参拝した者が各々の観点から自身の生活・生き方を耽思し合掌する。つまり幸福を祈る。

これこそ「健康」を表現するものとしてあるべき姿かと思います。

 

余談

余談ですが、先日知り合ったある女性の話をします。

その方は85歳なのですが、背中が曲がったり耳が遠くなったりすることもなく、いわば健康的に生活されており、ドライブを趣味にしているほど自動車の運転もしっかりされていました。

おしゃべり好きで色々な話をしてくれますが、この間とてもびっくりしたことがありました。

その方のドライブに関する話で、自動車の運転をする時にかける曲がなんと「ONE OK ROCK」とのこと。

しかも今度は「KingGnu」のCDを買うんだと声高々に話して下さいました。

いくつになっても最新の情報や文化に触れ、新しい風を感じながらwell-beingをキープする、私もそんな風にいつまでも元気でいたいと思いました。

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